気になる情報の中で疑問に思えるもの

この記事の要約
気になる情報の中で疑問に思えるものも多くあります。心を縛っているのはいつも自分です。意識的視野が狭いと、理解できる範囲も狭くなります。荒唐無稽と思われるものも意識的視野が広い人ほど受け入れます。一つ一つ許容し受け入れ自分を広げていくと意識的視野も広がります。
1. 世の中で起きる出来事
世の中で起きる出来事、話題になっているニュースの「なぜ」、気になることを見ていきたいと思います。連日報道される内容の行間を読み解くと、見えなかったものが見えてくるようになります。
世の中は、何を中心に動いているのでしょうか。どうして戦争が絶えないのでしょう。
地球という惑星は、過去に、平和が覆っていたことが世界中の遺跡の中から理解できます。現代は、ごく一部の人々によって牛耳られているのでしょうか。そう思います。
2. 世界を統制する三種のもの
この地球に、宗教、貨幣制度、武力が入ってきました。時代が移り変わり、人類を統制するには、これら三種のものが必要になったのでしょう。
考えてもみれば、この三種のものとは、世界の中に3か所あります。
宗教を代表するバチカン市国:バチカン市国、通称バチカンは、ヨーロッパにある国家で、国土面積は世界最小です。ヴァチカンやバティカン、ヴァティカンとも表記されます。 経済指標はイタリアに統合されています。
金融の象徴である、シティー・オブ・ロンドン:世界の金融の中心地とも言われており、イギリス議会で通過した法律が、シティ・オブ・ロンドンでは、適用されません。しかしながら、シティ・オブ・ロンドンは、バチカンのような独立国家ではありません。
世界最大の武力を誇るアメリカにあるワシントンDCですが、アメリカ合衆国の一部ではありません。 コロンビア特別区です。 DCには独自の旗があり、独自の憲法を持っています。 DC憲法は、アメリカ憲法とは関係がありません。
DCは法律により法人として行動します。 ワシントンDC地区の旗には、3つの赤い星があります。(3つ星はワシントンDC、バチカンシティ、シティオブロンドンを表しているといわれています)
3. 人間の幼稚な知識が自然を破壊する
森で覆われていた表面は、伐採され、アスファルトが敷き詰められ、自然が破壊され公害で覆われるようになりました。この地球というのは、細菌の惑星であり、自然そのもの、そのままであることで完全なのです。
人の知識とエゴの導きによって人の手が加えられたこの場所は、とても住みずらいのです。
4. 空間にある力を導く標識
密教には、座禅と印のようなたくさんの方法がありますが、その中で相性がいいものに出会ったときは、一つの力を引き出すための手法となるのです。
空とは「何か」という議論が仏教の中では長い間ありました。量子力学も、ホログラムの認識も無い時代に、一生懸命、空という言葉を使って説明をしているのです。現代人が行なっている議論が仏教の中では行われていたのです。
密教は、心のあり方を解いていました。多くの人は唯物的なことを求めます。
密教には、唯心、唯物の二面性がありますが、空海が目指したのは唯心論です。ところが、空海の弟子たちが追ったのは唯物だったのです。
宇宙哲学も唯心論について考えるように、これを行っていけば超能力が持てると述べられています。でもそれらは、戯論(けろん)になるのでえす。自分の心の中でいろいろな問答がある間は準備が整っていませんから。、
わからない人に本質的なことを言ってはいけないのです。だから無理やりに密教の密を解きませんでした。密は曼荼羅の中にあるとしか言っていません。
5. 思うことが実現することだった
密教の密は一言で言うと「思うこと」なのです。
思うことは実現します。はっきり言って、このことはわからないのです。この中には、宇宙のシステムがあります。宇宙のシステムに思うことが、うまく合致すると実現して行きます。合致しないと実現しなくなるのと同時に、マイナスの現象までも起きて来ます。
密の想念は、システムを持っています。知性の中でも、数段上の英知を持っているのです。何を媒介にして動いているかと言うと原子核です。
6. 宇宙の意識は心の範囲
空間には原子核があるのです。思う事、科学として、理解する事が密教の密と意識を理解することなのです。宇宙的意識は、心の範囲でしかないのです。どんなに理解しようとしても心の範囲までしか理解できません。
心を磨くとはどんな事でしょうか。霊的なことというのは、上に登るのではなく、心を広げ、いろいろな経験をし、いいこともあれば悪いこともあることを知ることです。悪いことを経験した時に、それを克服することで心の幅が広がります。心の幅が広がった分だけ意識の範囲も広がります。
どうやったらそれが容易にできるのでしょうか。それは、自分を受け入れることです。
心を縛っているのは、いつも自分です。多くの人々は、自分が嫌いなはずです。自分の小ささとか、自分の無知とか、自分の卑怯なところ、自分が犯した罪などはしかたがないことです。事実なのですから。大した人間でないことに気づき、それを受け入れていくのです。
7. 自分を許容する
諦めではなく、そのような自分を許容することを意味します。許容して行くと、他人もそうであることが許容できていくようになります。一つ一つ許容し受け入れ、自分を広げていくと心も広がり、意識的視野も広がります。意識的視野が広がれば広がるほど、密教の密の部分が分かってきます。
これが空海が伝えようとしてきた密の在り方です。口で言うのは簡単です。実際行うのはとても大変です。
結局世の中では、お金も儲けなければなりません。そうすると、力を求めに行きます。どうしたらお金を稼ぎだすことができるのだろうか。欲が生じて、そこでまた議論してしまいます。
そのようなことは「無意味であり戯論だ」と空海は、言っています。そこを越えて自分を受け入れたときに、心の中心が見えて来ます。そこに至らないと他人も許せないし、自分も受け入れられないのです。
※戯論(けろん)仏教用語。 無意味で無益な言論のこと。 愛着心から行う言論であるところの愛論と,偏見より行う言論であるところの見論とがある。 仏教では形而上学的な議論は戯論に属します。
8. 立証できるものは何もない
「これが本当だよ」と言うことを何も示せません。目に見えないものは立証できません。UFOも宇宙人の存在も立証できません。いるのか、いないのかも分かりません。
どんな情報を集めても、立証できないものをいつも選択しています。ここに来たのも何かを選択したからですね。伝説では、空海もすごい人だったと言っているだけで、何か立証しているかといえば何もしていないのです。
基本的な直感力でいつも選んでいるだけです。一見不安定な何の理由もないものを選んでいるようですが、直感というものは、どこかに導いいているものです。宇宙的な渇望がいつも心の中にあって、これが皆さんを動かす原動力になっています。いつでも、ここを自分起こしの起点だと思ってみてください。
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