タルタリーの言説はブリタニカ百科事典から出た

タルタリーの言説はブリタニカ百科事典から出た

この記事の概要

タルタリーの言説はブリタニカ百科事典から出たのです。タルタリーは1771年の時点では、国として説明されていたのです。ブリタニカ百科事典は、英国の本で英国の研究者によって執筆されたものだということは事実です。その内容は当時のヨーロッパの認識であったことは疑いの余地がありません。


ブリタニカ百科事典

ブリタニカ百科事典エジンバラ版が、1771年に発行されました。そのエジンバラ版の第3巻の887ページには、タルタリーについての説明があるのです。(ブリタニカ百科事典の用語解説 – 《Encyclopaedia Britannica》英国の百科事典。初版は1768年から1771年にかけて英国のエディンバラで刊行)

ブリタニカ百科事典初版は、1768年から1771年にかけて全三巻からなる参考書です。正式名称は、「ブリタニカ百科事典あるいは新しい計画に基づいて編纂された芸術と科学の辞典」です。

この百科事典は、スコットランドのエディンバラにおいて、コリン・マクファーカーとアンドリー・ベルの2人によって、百科事典の草創期に作られ、3年間に渡って購読形式で販売されました。その時点ではまだ本にはされていませんでした。当初は英国の学者の論文を集めたものでしたが、版を重ねるごとに手が加えられ、世界的な百科事典となったのです。

コリン・マクファーカー(英語: Colin Macfarquhar、1745年? – 1793年4月2日 エディンバラ)は、スコットランドの書籍販売者、印刷業者。アンドリュー・ベル(英語版)とともにブリタニカ百科事典を創設、1768年12月に第1版(英語版)を出版したことで最もよく知られている。生没日と生没地はブリタニカ百科事典ですら「不確か」としている。

『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2021年11月24日 (水) 01:17での最新版を取得。

編集者が必要だった2人は、28歳の学者ウィリアム・スメリーを選び、記事のほとんどは彼によって書かれ百科事典を100部(100週間)に分けて作成させました。

ウイリアム・スメリーまたはウィリアム・スメリは、スコットランドの産科医である。スメリーの著作『解剖図表と産科の実際』は日本に輸入され、鉗子(カンシ、ペアン)の導入に貢献した。

記事はマクファクハーによって編集され、ページは彼が印刷し、全ての銅板はベルによって作成されました。後にこれらをまとめ て三巻に製本されまし た。


タルタリー

タルタリーは北と西をシベリアに接するアジア北部の広大な国です。そこは、グレートタルタリー呼ばれています。

モスコビーとシベリアの南に位置するタルタル人は、カスピ海の北西に位置するアストラカン、チェルケス、ダギスタンのタルタル人、シベリアとカスピ海の間にあるカルムック・タルタル人、ペルシャとインドの北に位置するウズベック・タルタル人とムガル人、そして最後に中国の北西に位置するチベットのタルタル人です。

これがブリタニカ百科辞典初版に書かれているタルタリー(Tartary)についての説明文です。タルタリーは1771年の時点では、このように国として説明されていたのです。

ロシアのカルティストであるニコライ・レヴァンショフが2004年7月に、インターネット上で初めてタルタリーについて公然と報告しました。

ニコライ・レヴァンショフがロシアではカルトとして扱われていたことや、ロシアとタルタリーを同一のものと捉えていたことで疑問視されていました。

ところが、ブリタニカ百科事典は、英国の本で英国の研究者によって執筆されたものだということは事実です。その内容は当時のヨーロッパの認識であったことは疑いの余地がありません。


タルタリーと言う巨大な国

タルタリーついて解説しているものをまとめると、大体以下のようになります。

1771年のブリタニカ百科事典によると、タルタリーと言う巨大な国があり、州の規模は様々でした。この帝国の最大の州はグレートタルタリーと呼ばれ、西シベリア、東シベリア、極東の土地を覆っていました。

南東では中国タルタリーに隣接してい ました。中国と一緒にしないでください。グレートタルタリーの南には独立タルタリー(中央アジア)がありました。

チベットタルタリー(チベット)は、北西、中国タルタリーの南西に位置していました。インドの北にはモグルタルタリー(ムガル帝国)現在のパキスタンがありました。

ウズベキスタンタルタリー(ブカリア)は、北の独立タルタリーに挟まれていました。北東部の中国タルタリー、南東部にあるチベットタルタリー、南はモグルのタルタリー、南西はペルシャです。

ヨーロッパにはモスクワタルタリー (モスコバイトタルタリー)クバンスカヤタルタリー(クバンクルタルタリー)、リトルタルタリーなどいくつかのタルタリーもありました。


タルタリーが意味するもの

タルタリーが意味するものは、ムガル帝国が現代のモンゴルと何の関係もないのと同様にタルタリーは現代のタタールとは何の関係もありません。

モグルタルタリー(ムガル帝国)は現在のパキスタンの敷地に位置し、現代のモンゴルは、現代の中国の北部または、グレートタルタリーの間に位置しています。

このことについて疑問を持った研究者たちは、さらに多くの様々な資料や文献を調べより深く疑心暗鬼を生じさせたのです。

現在ではタルタリアやタルタリーについて書かれたり触れられたりしている書籍は数千冊にも及び、地図や地球儀も数百枚、さらにタルタリアやタルタリーなども見つかっているのです。

当時の書籍は現在の書籍と比べられないほど価値があるもので、ブリタニカ百科事典初版は300部しか製本されませんでした。現在も出版は大変ですが、その時代は、大変な作業であったことは疑う余地はありません。

これらの事実によりタルタリアやタルタリーの調査研究は、世界中に広がっていったのです。しかしながら、アジア圏では、まだまだ研究が広がる兆しはありません。


参考文献:ユーチューブ、どこからタルタリーの言説が出てきたのか?1771年ブリタニカ百科事典初版のタルタリーの説明文【Tartary】

URL<https://www.youtube.com/watch?v=96bsXt0pvGk>アクセス日:2024年8月23日


まとめ

ブリタニカ百科事典初版は、1768年から1771年にかけて全三巻からなる参考書。

タルタリー(Tartary)について、ブリタニカ百科辞典初版に書かれていた。

1771年のブリタニカ百科事典によると、タルタリーと言う巨大な国があり、州の規模は様々だった。

タルタリーが意味するものは、ムガル帝国が現代のモンゴルと何の関係もないのと同様にタルタリーは現代のタタールとは何の関係もない。


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