南極は遺跡の発見で昔は氷に覆われていなかった

南極は遺跡の発見で昔は氷に覆われていなかった

南極は遺跡の発見で昔は氷に覆われていなかった

この記事の要約

南極は遺跡の発見で昔は氷に覆われていなかったことが推測できます。南極大陸が発見される前から描かれていた地図があります。地図には地図の系図があり氷に覆われていなかった海岸線が描かれていることや遺跡があることで温暖な大陸だったことが考えられます。


南極大陸のミラミッド

南極大陸で、いくつかのピラミッド型の山が発見されています。自然の山かと思うとあまりにも四角錐で綺麗なので、人工的な山に見えます。

これまでは衛星写真で発見され話題になっていましたがレーザー探査でも発見したのです。

電磁波を使って、氷の下の物体を浮き上がらせよう(形を確認する意味)と試みました。グーグルなどは、可視光線で地表のものが写ったものです。赤外線などいろいろな波長で探査がされています。

地表からも電磁波の周波数を変えると、スキャンできるのです。資源探査衛星というのがかつて国家機密だったりもしました。衛星探査で地表をスキャンしてみると農薬を使っている田んぼが、すぐにわかってしまいます。周波数によってどんな物質があるか分析できてしまうのです。


スキャンの性能

衛星によるスキャンで、地下の構造が見えて来ます。遺跡などもすべて丸わかりです。ピラミッドの内部もすべてお見通しです。

グーグルアースをみただけでも、中央アジアに遺跡を発見した人もいるくらいです。もっと強力なリモートセンシングなど、今や軍事技術が民間で使われるようになって来たのです。

リモートセンシング (Remote Sensing) とは、対象を遠隔から測定する手段です。 人工衛星や航空機などから地球表面付近を観測する技術を指すことが多いようです。 リモートセンシングには、観測装置(センサー)と、それを上空に運ぶためのプラットフォームが必要です。)

分析した結果、単なる構造物ではなく都市のようなのです。一部の考古学者はこれは明らかにピラミッドであり、都市遺跡であると断定しています。南極に遺跡があることは間違いないようです。今の南極の氷の厚さは3千メートルくらいあります。


南極が氷に閉ざされた時代

現代の定説では100万年前に氷で閉ざされたというのです。人類が登場したのは36万年前と言われています。

そうなると時代が全然合わないのです。考えられることは二つあります。一つは、100万年前に人類がすでにいて、文明を築いていたことになります。

もう一つは、南極が氷に閉ざされたのは、100万年前ではなく、最近のことではないのでしょうか。100万年前という計算は、降水量と積雪の関係で計算されてたものです。


南極大陸の地図

南極大陸を描いた地図というのがあります。オーパーツの中で、南極大陸が発見されたのは19世紀です。このことは、つい最近です。

しかも氷に覆われているので海岸線がよくわかりません。オーパーツの地図、ピリ・レイスの地図、オロンテウスの地図などは海岸線がきっちり書かれています。氷で覆われてなく山脈もあり川の形までも書かれています。古代の地図なのですが、現代の地図とほぼ同じです。山脈の位置がほぼピッタリ合っています。

1500年代に書いた地図の情報はどこから来たのでしょうか。ピリ・レイスの地図は16世紀の地図なので、必ず参考にした地図があるのです。地図には地図の系図があります。一枚地図があり、それを新しくするために新しい情報を入れて更新します。

遡っていくと2枚の地図を参考にして1枚の地図を作ったりします。南極大陸の地図の紀元を追っていくと、アレキサンダー大王の時代に遡れます。紀元前4世紀の地図を参考にしたようなのです。


南極大陸は氷に覆われていなかった時期があった

もっと昔の地図を参考にして描きました。古代に既に南極大陸を描いた元になった地図があります。それはいつでしょうか。少なくても人類が生きている間、歴史が始まった有史、最終氷期が終わったあたり、1万2千年前から現代に至るまでに、南極大陸が氷に覆われていました。

それ以前は、南極大陸は氷に覆われていなかった時期があったのです。それがある時急に氷に覆われてしまいました。それは一体なんなのでしょうか。

オロンテウス、ピリ・レイスの地図は、緯度経度が書き込まれています。南極点というところがあります。それに合わせた現代の南極大陸の南極点と古地図の南極点は1700キロメートルほどずれています。


ポールシフト

もしこの古地図が、現代の南極大陸そのものだとすると、氷がなかった時の南極点は、今の南極点ではないという話です。

南極点ではなく、南極圏ではなかっただろうかとなります。南極圏だからこそ氷に覆われていなかったということは地軸が傾いたということを意味しています。極が移動したことになります。ポールシフトが起こったのです。

ではポールシフトがいつ起こったのか、今の南極点、北極点、前の北極点南極点は実はわかっているのです。

昔の北極点は、北米のハドソン川付近で、南極は、アフリカ大陸でした。アフリカ大陸の南側に南極点があったことがわかっています。

極が移動したのです。それしか説明しようがないのです。ポールシフトで南極は凍ったということです。それでは氷河期とは一体なんなのでしょうか。

地球全体が本当に凍ったということはあるのでしょうか。今でも北極も南極も氷河期です。古代の記述では、太陽が西から昇ったような記述や伝説もあります。

ポールシフトは地球の傾きコード面に対して23.4度傾いています。これで回転して23.4度が逆さまになったりするのがポールシフトだと思ってしまいます。

仮にこれが逆さまになっても太陽は西からは登りません。極が180が変わると太陽が西から登ります。回転は23.4度のまま北極点と南極点が移動したのです。逆さゴマは回転を保ったまま逆立ちします。逆立ちした段階で、南極と北極が入れ替わったのです。回転の自転軸は変わりません。それが起こった可能性があります。

遺跡の発見がポールシフトの決定的証拠になるのです。


まとめ

南極大陸で、いくつかのピラミッド型の山が発見されている

古代の地図は、現代の地図とほぼ同じで、山脈の位置がほぼピッタリ合っている

ポールシフトがいつ起こったのか、今の南極点、北極点、前の北極点南極点は実はわかっている


紹介欄

ポールシフトは「地殻移動」で起きる! (巨大地震シリーズ)

氷河期の謎とポールシフト (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)

 

 

古代ヘブライ語が記された指輪と丸石

古代ヘブライ語が記された指輪と丸石

古代ヘブライ語が記された指輪と丸石

この記事の要約

古代ヘブライ語が記された指輪と丸石が、淡路島で見つかりました。淡路島は古事記日本書紀でも、最初に作られた国です。文字として遺跡から出てきたのは大変な驚きでした。ユダヤ人は世界に散っているので、発掘されたものは、ユダヤ人が日本に来た証なのです。


淡路島とイスラエル

2017年5月14日、淡路島でイスラエル建国69周年が行われました。なぜ淡路島でイスラエル建国69周年を行ったのでしょうか。毎回ではなく、今回が初めての式典です。イスラエル中日大使エリ・コーエンさんは、(コーヘン、コーエンがついたら100パーセントユダヤ人です)ユダヤ人の中でもイスラエル十二支族、または十三支族の祭司レビ族、その中でも大祭司、アロン直系のレビ人なのです。前駐日大使のこの方が来日しました。

ユダヤ教徒は、母親がユダヤ人であることが条件ですが、レビ族だけは男系なのです。エリ・コーヘンさんも祭司でユダヤ教のことをよく知っています。

日本人だからと言って、神道について全て知っているわけではありません。しかしながら、神職の人であれば多くを知っています。そのような意味でユダヤ教のことを一番よく知っているのです。その方が日本の駐日大使でした。駐日大使だった時に日本の文化に色々触れておられました。


日本には古代イスラエル人が生きている

取材では、「日本には古代イスラエル人が生きていますよ」という話をしていました。

歴代の駐日大使は理解がありますので日本という国がどのような国かを知っています。遠い昔に古代イスラエル人は、絶対に来ていることを知っています。イスラエル人が日本に来ているという前提で淡路島で式典が行われたのです。

式典が終わると、地方は直会です。その後は、カラオケです。エリ・コーヘン元駐日大使も歌っていました。チューリップのサボテンの花を。

直会(なおらい)とは、神社に於ける祭祀の最後に、神事に参加したもの一同で神酒を戴き神饌を食する行事(共飲共食儀礼)である)

淡路島のユダヤ遺跡

四州園と呼ばれたホテルの敷地内にユダヤ遺跡があるというのです。1934年にホテルを拡張しようとオーナーが、整備していたら古墳みたいなものが出て来ました。石室みたいなものでした。

恐ろしいことに、その日、その夜に、オーナーの人が突然死してしまいました。このような遺跡を掘り起こしてしまったので祟りだと思い埋め戻しました。

時を同じくして、出口王仁三郎で有名な大本教の聖地、淡路島は古事記日本書紀でも、最初に作られた国です。「ここに神聖な井戸があるから、それを調査しろ」と出口王仁三郎が大号令をかけたのです。

関係者の方が淡路島を調査して、この噂を聞きつけ、これはまさしくユダヤの遺跡に違いないとなったのです。1952年、アメリカ系ユダヤ人であり、ユダヤ教のラビ、ローゼンさんをお迎えして大々的に発掘するのです。

石室の蓋のところに、ダビデの模様のようなものがありました。ダビデの星は、三角を二つ重ねたものですが、上に飛び抜けた三角の部分が出ていない模様でした。知る人は、淡路島はユダヤ遺跡が出る島として有名なのです。


遺跡の調査

1996年、四国に剣山がありますが、ソロモン秘宝のアークが眠っていると噂されている山です。その山を四国剣山顕彰学会・高根三教先生が二代に渡って調査したことがあります。

その学会の方が今度は、淡路島のユダヤ遺跡を調査しました。改めて発掘、調査して調べ直しました。調査期間に目ぼしい成果はなかったのですが、色々なものを片付けしていました。熊手だとか沢山の発掘道具などを整備していたところ、熊手のところに何か噛んでいました。

これを洗ったところ、なんと指輪でした。2個あり、一つには、ダビデの星があり、もう一つには鹿の彫り物がありました。鹿はイスラエル十二支族のシンボルマークです。これは6番目の部族ナフタリです。ヘブライ語のようなものが書かれていました。昔から、指輪があることは聞いていたのです。


ヘブライ語が書かれた石

指輪とは別に丸い石があり、漬物石にちょうどいいので持って帰って洗ったところ、下のところに女院の絵が描かれてであるました。発見はその上に文字が書かれていました。明らかにヘブライ語でした。

ガル・コデーシュ、コデーシュというのは、聖なるもの、カルというのは、波、もしくは立石のことを聖なる立石、聖なる波、そういったことを意味して書かれているのではないでしょうか。

実際にエリ・コーヘンさんに読んでもらいました。ガル・ゴデーシュと書いてありました。漬物石みたいなものは、元々は安置されてあったのではないかと思われます。

表面を一度見ただけでは、文字が見えなかったので、発掘の際に脇へ置き去りにされていたのでしょうか。

ヘブライ文字は、時代によって書体が微妙に違ってきます。現代のヘブライ語は現代の書体、これに書かれているヘブライ語を分析したところ、紀元前7世紀、8世紀、その時代のヘブライ文字であるということです。

このことは、日本人ではなく、ユダヤ人が認めているのです。

エリ・コーヘンさんも日ユ同祖論を沢山聞いてきて、風習が似ていることはわかっていましたが、文字として遺跡から出てきたのは大変な驚きでした。ユダヤの方々は世界に散っているのですから、この発掘されたものは、ユダヤ人が日本に来た証なのです。


イスラエル十二支族

ルベン族=太陽、シメオン族=魔法瓶と剣、ユダ族=獅子、ダン族=蛇、ナフタリ族=鹿、ガド族=天幕、アシェル族=オリーブの木、イッサカル族=驢馬、ゼブルン族=帆船、ベニヤミン族=狼、マナセ族=椰子の木、エフライム族=葡萄


まとめ

日本には古代イスラエル人が生きている

淡路島のユダヤの遺跡


紹介欄

日本民族秘史―マオリとユダヤ人の血は日本人に流れている

ツタンカーメンと出エジプトの謎―隠されたパピルスの秘密

聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎 (Natura‐eye Mysteria)

日本書紀と日本語のユダヤ起源 (超知ライブラリー)

 

 

「八咫鏡」(ヤタノカガミ)に記されたヘブライ語

「八咫鏡」(ヤタノカガミ)に記されたヘブライ語の謎

「八咫鏡」(ヤタノカガミ)に記されたヘブライ語の謎

この記事の要約

「八咫鏡」(ヤタノカガミ)に記されたヘブライ語の謎があります。聖なる鏡という小説には「我は在て在るものなり」というヘブライ文字が刻まれていて日ユ同祖論の古代イスラエル人が日本に渡来し、日本人の皇室及び日本人の先祖になったことに起因しています。


三種の神器とは皇室の王権の象徴

三種の神器とは皇室の王権の象徴であり、それをレガリアと言います。それを持っていることが正統性の証なのです。

南北朝の時も、三種の神器を持っていることが正統性の証でした。三種の神器とは3つあります。八咫の鏡、草薙剣、または叢雲の剣(ムラクモノツルギ)、八尺瓊勾玉(ヤサカギノマガタマ)です。ちなみにこれなんでしょうか。鏡と剣と勾玉です。

形に注目してみます。鏡といっても古代の鏡です。丸いものです。勾玉の形状は、元が動物の牙であったとする説や、母親の胎内にいる初期の胎児の形を表すとする説などがあります。剣はとんがっています。これは一体何を象徴しているのでしょうか。


象徴の意味

諸説ありますが、鏡は太陽です。勾玉は三日月です。鏡と勾玉で陰陽です。剣は星です。太陽と月と星の象徴です。

太陽の象徴である八咫の鏡は、神道の神アマテラス大神に関わる天の岩戸開きの時に榊に掲げられた鏡です。八咫とは一尺二尺の長さの単位です。八尺という大きな鏡を表現しています。

アマテラス大神の孫にあたる天孫のニニギノミコトがその鏡をいただいて、高天原から降臨して地上に来たのです。

これがいわゆる天孫降臨なのです。これが今日の皇室に繋がって来ます。鏡とは非常に大切なものであり、アマテラス大御神の化身といってもいいのです。


最も崇高な八咫の鏡

現在それは伊勢神宮の内宮にあります。それはアマテラス大御神の象徴です。「何人たりとも見てはならない」と戒められているほど、畏敬なものなのです。天皇陛下であってもご覧になてはならないほどのものです。

その鏡が、盗まれたということを聞かれます。見てはいけないと言われている秘仏が、結構盗まれていることが多いように、もともと無いものを開けてしまったら、無いことが知られてしまいます。そこで、見てはいけない秘仏にしてしまうこともあるようです。

見てはいけないといっても管理しなければなりません。神職の中で立場にある人は、もしかしたら見ている人もいるかもしれません。また、見ないようにしてあることを確認している人もいるかもしれません。そういう中で都市伝説が生まれてくるのです。

八咫の鏡は、鏡の面はつるつるですが反対の裏側には文字が書かれています。有名な三角縁神獣鏡とか、鳳閣神獣鏡、浮動神獣鏡など模様によって名前が色々あります。

(三角縁神獣鏡(さんかくえんしんじゅうきょう、さんかくぶちしんじゅうきょう)は、銅鏡の形式の一種で、縁部の断面形状が三角形状となった大型神獣鏡)

八咫の鏡の裏にはヘブライ語

八咫の鏡の裏にはヘブライ語が書かれていると言われています。あたかも見てきたかのようななスケッチもあります。

ヤハウェが八咫の鏡の裏側に記されているという都市伝説があります。その噂の出所はどこなのでしょうか。確固たる証拠もないし、噂の出所も曖昧なのです。誰が言い出したのかも非常に謎です。

噂の出所は日ユ同祖論で古代イスラエル人が日本に渡来し、日本人の皇室及び日本人の先祖になったのだという話です。神道も古代ユダヤ教と原始キリスト教に通じるという説があります。まさに文脈の中で語られる一つのテーマではあるのです。

聖なる鏡という小説が出版されました。これはユダヤ人の青年が、伊勢神宮に忍び込んで八咫の鏡を盗み出すという話です。なぜ盗み出したかというと、八咫鏡には「エイエ・エシェル・エイエ」=「我は在て在るものなり」というヘブライ文字が刻まれていました。盗み出した者は、八咫鏡の正統な所有者は自分であると延々と講釈を垂れるのです。


女神になった理由

伊勢神宮の祭神はアマテラス大神で女神なのですが、古代イスラエルの神ヤハウェは男神なのです。アマテラスが男性である説もありますが、なぜアマテラスは女性になったのでしょうか。

古代のイスラエルは多神教だったという説もあります。そのような痕跡が考古学的に見えて来るものがあります。ソロモン神殿においても神殿の中に、異教の像の神がありました。今もたくさん発掘されています。

中でも一番多いのは女神の像でアシェラ像がたくさん出てきます。古代の女神としては、大変普遍的です。イシス、アスタルテ、イシュタル、イシュメルの女神、アスタルテのaがfになるとアフロディーテ、ビーナスになっていくのです。アシェラは樹木の象徴をとります。

ヘブライ語の定冠詞はハです。そうなると、ハ・アシェラ、柱になります。柱の神様、伊勢神宮の内宮、外宮は、真のみ柱です。このような経過があって、男神アマテルから女神に変わっていったのでしょうか。

お相撲さんが柱に鉄砲を撃つのは、神様と相撲を取っている様子を表現しています。となると、八咫の鏡にはやはり、ヘブライ語が書かれているのかもしれません。


まとめ

三種の神器とは皇室の王権の象徴であり、それをレガリア

鏡は太陽、勾玉は三日月、鏡と勾玉で陰陽、剣は星、太陽と月と星の象徴

八咫の鏡は伊勢神宮の内宮にあり、アマテラス大御神の象徴

八咫鏡には「エイエ・エシェル・エイエ」=「我は在て在るものなり」というヘブライ文字が刻まれていた

古代のイスラエルには異教の神、女神像が出て来る


紹介欄

三種の神器 八咫鏡篇

八咫鏡(やたのかがみ)黒鉄風(くろがねふう)

聖なる鏡―アレックス・グレイの幻視的芸術―

アマテラスの正体: 伊勢神宮はいつ創られたか

 

 

徳川埋蔵金が赤城山北西部にあるとされる

徳川埋蔵金が赤城山北西部にある

徳川埋蔵金が赤城山北西部にある

この記事の要約

徳川埋蔵金が赤城山北西部にあるとされる伝説の要因の一つは、小栗上野介が勘定奉行時代に徳川家の大金を隠蔽したことが今日まで伝えられています。幕府が有事に備えて備蓄した分銅型の大法馬金は、現存していませんが隠されているとしたら、どこかにあるはずです。


徳川埋蔵金の噂

徳川埋蔵金というと幕末に薩長との戦に備えて、幕府が密かに軍資金とするために、赤城山に埋めたという小栗上野介の話が出て来ます。

(小栗上野介の逮捕の理由としては、大砲2門・小銃20挺の所持と農兵の訓練が理由であるとする説や、勘定奉行時代に徳川家の大金を隠蔽したという説(徳川埋蔵金説)などが挙げられますが、これらの説を裏付ける根拠は現在まで出てきていません。)

これまでの埋蔵金の性格とは違い、幕末のちょっと前の話です。当時鎖国していた江戸幕府に、外国船が全国に開国を求めて現れたのです。徳川幕府はそれに危惧しました。奴らが来た時にはいざという時のために軍資金を隠しておこうと考えたのです。


埋蔵金の場所

どこに埋めたかというと、群馬県です。群馬県は天領(江戸時代、幕府直接の支配地)だったのです。その場所が、群馬県利根郡昭和村長者久保です。ピンポイントです。埋蔵金というのもかなり具体的です。埋蔵金というと小判を想像してしまいます。当時は金を金塊として固めたのです。形にすると、このようなものです。大法馬金でした。この形には意味があるのでしょうか。

 

(幕府が有事に備えて備蓄した分銅型の大法馬金(44貫:約165kg)と、金塊を小分けに鋳直したもので小法馬金(100匁:約373g)があり、大法馬金については財政難のため、潰されて小判に鋳造され、支出されたため現存していません。小法馬金については尾張徳川家が所蔵していたもの300個が、日露戦争前に日本銀行に買い入れられ現在、貨幣博物館が所蔵しています。)

幕末にこれがあったことがわかっています。幕府がこのどでかいものを持っていました。金の価値だけで7億円します。骨董的価値を入れて、70億円はするだろうとのことです。

160kgを運ぶのが大変です。札束で一億円は紙袋一つに入ります。当時、幕府が日光に参拝に行くのです。日光街道からずれたところです。迂回して別ルートで日光へ行った形跡がありました。


水野忠邦が訪れた長者久保

何故いつも行くルートを行かないのでしょうか。これはおかしいと思ったのです。その怪しいルートが長者久保という土地なのです。この長者久保という街に、天保14年老中水野忠邦が来ました。

(天保年間には全国的な凶作による米価・物価高騰や天保の大飢饉、百姓一揆や都市への下層民流入による打ち壊しが起こっていました、天保7年(1836年)には甲斐国における天保騒動や三河加茂一揆、翌天保8年には大坂での大塩平八郎の乱などの国内事情に加え、アヘン戦争やモリソン号事件など対外的事件も含め、幕政を揺るがす事件が発生していたのです)

こんな山の中に何故来たのでしょうか。宝の地図の暗号を古文書などの資料から読み解きました。大法馬金の魚拓のようなものまでも見つかっていました。この祠(ほこら)の下にあるという確信がありましたから、地中レーダーをかけて掘ったのです。掘って見つかったのは石でした。

さらに他の場所も掘ってみました。最新機器が揃っているはずですが、結局は石だけでした。持って来て埋めたものは、持ち出される可能性もあります。その時はあっても現在あるかどうかわかりません。

徳川の埋蔵金には全然違う噂があります。実は密かに掘られて、アメリカにあるという話です。アメリカの某社にあるというのです。とある場所の地下だというのです。


まとめ

小栗上野介が勘定奉行時代に徳川家の大金を隠蔽したという説(徳川埋蔵金説)などが挙げられるが、根拠は出ていない

埋蔵金の場所は群馬県利根郡昭和村長者久保

すでに埋蔵金は掘り出されてしまった可能性がある


紹介欄

徳川埋蔵金検証事典

徳川幕臣 小栗上野介トートバッグ 国産デニム地トートバッグ

謎解き紀行 徳川埋蔵金 「かごめの歌」に隠された秘密 上

田中貴金属ゴールドバー 100g 田中貴金属発行 100gの純金 24金 ゴールド インゴット

三丁目写真館~昭和30年代の人・物・暮らし~

 

 

 

宗教で最も重宝される言葉は「従順」

宗教で最も重宝される言葉は「従順」

宗教で最も重宝される言葉は「従順」

この記事の要約

宗教で最も重宝される言葉は「従順」です。どこの宗教組織も「従順」が第一の律法なのです。組織を守るためには、組織の枠に閉じ込めておく必要があります。人間が神の知識を持っては困ります。知識を手にすることで愚鈍な状態から目ざめてもらっては迷惑なのです。


バチカンの歴史

ローマ教皇の歴史は、魔女狩りに見られるように結構血生臭い歴史があるのです。イエス・キリストの正統的解釈を持っているのがカトリック教会です。その教義を少しでも外れるようなことを言ったら異端であると糾弾されます。異端審問会と言われるものがヨーロッパではあります。魔女狩りにされ、異端審問会にかけられ、火あぶりにかけられた歴史もあるのです。

果たして「バチカンの神学や教義が、イエス・キリストが説いた本当の教えなのでしょうか」と問われると色々議論がされて来ます。

最近はダビンチコードみたいな小説もありました。なぜバチカンは、正統派のキリストの教だと頑(かたく)なに主張するのでしょうか。この主張を分析したのが、サタンの暗号なのです。

カトリックの教えに反する教えはたくさんあります。キリストが死んだ後に色々な解釈ができました。


グノーシス

色々なキリスト教会があり様々な教えがあります。異端とされて粛清されて来た人々の教えの流れもあるのです。有名なのはグノーシスという教えです。

初期の頃の福音書は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと四つあります。これ以外に、トマスの福音書、最近ではイスカリオテのユダの福音書、さらにはマリアの福音書などがあります。

四つの福音書以外のものをグノーシスと呼ばれています。グノーシスとは、ギリシャ語で知識を意味します。肉体と霊で二元論をとって、肉体を否定し魂を解放する内容です。

極端な思想になっていくと、有名な創世記で失楽園の場面にあるエデンの園には永遠の生命をもたらす生命の木と、知識をもたらす知識の木がありました。知恵の木と間違いがちですが、知識の木です。

知識の実を食べたばかりにアダムとイヴは楽園を追われ、寿命が短くなってしまったのです。それをそそのかしたのはヘビでした。このヘビがサタンであると言われています。

知識とは神の知識なのです。正統派の人々からしてみれば、人間が神の知識を持っては困ります。知識を手にすることによって愚鈍な状態から目ざめてもらっては大変迷惑なのです。


従順

正統派の人々と称するカトリックは、神の知識を隠して来たり、求める人たちを弾圧して来たりして来ました。有名な神学者たちもそのような知識を持ってはならない、賢くなってはならない、ただ「従順」にしたがっていれば良いと考えていました。グノーシス的な知識を得て賢くなることを非常に恐れていました。

宗教で最も重宝される言葉は、「従順」です。どこの宗教組織も「従順」が第一の律法なのです。組織を守るためには、組織の枠に閉じ込めておく必要があります。羊の檻を出ようものなら、厳しくとがめられるでしょう。外には狼がいるから危ないと。

そうすると、おとなしい羊です。知識を得られず、小さな囲いの中の知識だけを与えられて、「従順」に良い子として生涯を終えるのです。


秘教集団

当然ながら人は神の知識を追い求めてるのです。そうすると、正統派と呼ばれる宗教組織から弾圧されます。そうなると、隠れて、時には秘密結社を作って、脈々とそのような組織が受け継がれて行きます。知識を求めて来た人々、エッセネ派と呼ばれる隠遁的な集団があります。この方々もグノーシスという集団であり、カトリックとは違った教えを学んでいたのです。

歴史の中には、このグノーシスの集団が脈々と受け継がれて来ているのです。時にテンプル騎士団、その流れを組んだ秘密結社フリーメイソン、そのような団体が神の秘教集団として存在していたのです。

だからバチカンはフリーメイソンだと判ると破門しました。カトリックの流れとは違うのが秘教集団フリーメイソンなのです。

バチカンには、日本に来たことがあるイエズス会があります。イエズス会の人々も実は神の秘教を知っているのかもしれません。現在のローマ教皇は評判がいいのです。これまでバチカンには、スキャンダルがあったので構造改革をして今までのような慣習として高級車に乗っていたことを辞め、もっと質素な暮らしにしようとしています。

現在の教皇は、イエズス会出身なのです。もしかしたら、バチカンの中で改革がされようとするのは、今までの流れの神学ではなく、秘教に基づく教えのもとで行おうとしているのを匂わせているのではないかと感じるのです。

フランシスコが教皇になってからミサの文言が変わったのです。多くの点での改革がいいのか悪いのかは、様々な見方があります。


グノーシスの天使

アブラクサス・ペンダントはグノーシスの流れを汲んでいます。アブラクサスとはグノーシスの天使の名前です。

このアブラクサスが中東の方に流れていき、ヨーロッパで逆輸入されたものが、アブラカタブラなのです。アブラカタブラの元の言葉は、アブラクサスです。最強の天使を呼ぶ呪文の言葉なのです。


まとめ

ローマ教皇の歴史は、魔女狩りに見られるように結構血生臭い歴史がある

異端とされて粛清されて来た人々の教えの流れもあり有名なのはグノーシスという教え

宗教で最も重宝される言葉は「従順」、どこの宗教組織も「従順」が第一の律法、組織を守るためには、組織の枠に閉じ込めておく必要がある


紹介欄

グノーシス (講談社選書メチエ)

グノーシスの神話 (講談社学術文庫)

トマスによる福音書 (講談社学術文庫)

マグダラのマリアによる福音書 イエスと最高の女性使徒

原典 ユダの福音書

『ユダ福音書』の謎を解く

Abraxas DemonネックレスハンドメイドSatanism Luciferジュエリーギフトペンダントチャーム

鬼門の方角から鬼すなわち邪気がやって来ます

この記事の要約

鬼門鬼門の方角から鬼すなわち邪気がやって来ます。邪悪な霊がやって来ると考えられているのです。このようなことが信じられていたので霊的に防がなければなりません。北東は、鬼が出るところなので鬼門を封じ、征伐してしまうという思想です。これは鬼門の謎です。


鬼門の方角

北半球の家というのは家を建てる時にはなるべく、太陽光が入るように窓や玄関は南の方に向いているようにします。家相という家の見方にタブーがあります。北側に居間が向いているとしたら太陽光が入ってこないので寒くなります。

地形や事情があって、できないケースもありますが基本的には南向、東北の方角、北側の方角、しかも東寄り、この方角に関しては、水回り、トイレ、お風呂とかいうものは作らないようにします。作ると良くないという考え方、東北の方角というのは正に鬼門、鬼の門と書いて鬼門なのです。ここは、おろそかにしておいてはいけない、綺麗にしておかなければならない、という場所なのです。


鬼門の季節、時間、方角

元々は中国の神秘思想に十二支というのがあります。十二支というのは方角と同時に時間も関係しています。丑三つ時とか、子午線とか、午前午後とか、そのような方位と時間の中で、艮(うしとら)(=北東)の方角が北東になるわけです。ここが鬼門、と呼ぶのです。

鬼というのは牛の角にトラのパンツの姿です。これらは江戸時代にできた俗説であるとも言われていますが、元々は、インドにもあったので鬼のルーツは、インドなのだということです。

このような思想は、中国、インドのみならずユーラシア大陸全体にあるのではないでしょうか。何れにしても、艮(うしとら)、これは方角、もう一つは時間、時間の中でも1日の時間、深夜午前二時あたりが丑にあたり、丑三つ時と言われています。子丑寅の時刻は、夜明け前であり、1日の中で一番暗くて、寒くなるのでが鬼が出る時間帯なのです。

これを一年で考えていくと、艮(うしとら)の季節が節分に当たります。一年を見ても、艮(うしとら)を表すことが出来るわけです。

節分の時に「鬼は外」「福は内」と言われるほどに、寒くて暗い季節に鬼が出てくるのです。日本では、鬼門についてかなり根付いているようです。

十二支の方角であったり時間であったりするところの東北の丑寅の方角が鬼門であるのです。


鬼門と桃太郎

中国の古典の中の山海経(せんがいきょう)という書物、紀元前3世紀頃にできた妖怪めいた本があるのですが、その中に北東の方向に桃の木が生えていた話があります。そこの枝の方角が鬼が出入りするとの記述があります。

これなんかも桃太郎の話に出てくる鬼退治にも似ています。

思想的に桃太郎も中国から来たのでしょうか。桃太郎の家来たちは、猿、雉、犬です。十二支で言うところの申、酉、戌なのです。方角で言うと西になるのです。西というのは陰陽五行でいうと、金(こん)といって金属の属性があるのです。だからそれをもってして、「鬼と戦うぞ」、「鬼に金棒」、鬼は大体金属を持っています。

「鬼退治には桃をぶっつけろ」みたいな、鬼は桃に弱いみたいです。

桃というのは不老長寿仙薬なのです。昔話にはそのような要素が入っていました。方角で言うところの鬼門、北東の方から鬼はやって来て、かつ北東の方はおろそかにしてはいけないと言うことで色々な御呪いをやるわけです。


鬼門と神社

鬼門には、様々な神社が建っています。江戸や京都でもそうですが、土壌から見て北東の方角は、神社やお寺があります。それらは、鬼門封じだったりします。北東を守る思想は日本文化に根付いているのです。

逆に南西の方角は、裏鬼門と呼ばれます。これは羊申の方角です。東北から南西にかけての斜めの線が鬼門です。京都、江戸、大阪など重要な古い寺は北東から南西に並んでいると言われています。

都市計画のなかで、平城京では鬼門の方向に東大寺、裏鬼門の方向に植槻八幡宮があります。平安京では大内裏から鬼門の方向に比叡山延暦寺、裏鬼門の方向に石清水八幡宮があります。

鎌倉幕府から鬼門の方向に荏柄天神社、裏鬼門の方角に夷堂 があります。江戸時代の江戸城から鬼門の方向に東叡山寛永寺、裏鬼門の方向に三縁山広度院増上寺が置かれました。

鬼門には、沢山の神社が並んでいます。鬼門をそこまで恐れた理由とは何なのでしょうか。


鬼門を恐れた理由

その方角から鬼すなわち邪気がやって来ます。邪悪な霊がやって来ると考えられているのです。このようなことが信じられていたので霊的に防がなければなりません。北東は「鬼が出るところだから鬼門を封じてしまえ」「そっちの方角にいるものを征伐してしまえ」という思想です。

そのため、平安時代には、京都から見て北東、東国、東北の蝦夷を成敗するために征夷大将軍が任命されました。

ちょうど日本列島は、北東、南西に伸びています。本州の最果てが青森です。この地域では、かなり成敗されています。津軽平野の岩木山と言うのは、岩に樹木の木と書きます。この木を鬼、岩を厳しいと書いて、「厳鬼山」と書くことがあるようです。

近くには、厳鬼山神社があります。その近くに、鬼神社と呼ばれるものもあります。もともと岩木山は鬼だらけで鬼が住んでいるのです。鬼の住む地として封じられています。


裏鬼門

裏鬼門の南西の方角は、熊襲がいます。北東はアイヌがいます。北東と南西に連なる日本列島の中央部に上陸してきた大和民族にとって、先住民は邪魔な存在です。日本の先住民と言われる方々が朝廷の側からしてみれば鬼として征服されてしまう対象なのです。

民族、国民が違えば人ではないのです。だから殺したり奴隷にするのが当たり前の時代でした。

丑寅で鬼を表します。では裏鬼門の未(ひつじ)と申は何を表すでしょうか。羊は日本にいませんでした。古代の日本に羊がいたと言う説もあります。群馬県には羊の文字が使われています。群と書いて馬と書きます。群馬には羊と馬がいました。羊太夫がいました。

猿は鬼門封じとして猿があります。鬼門の方角に猿の置物があります。鬼門の方角の比叡山は猿なのです。十二支で鬼門(丑寅)とは反対の方角が未申であることから、猿の像を鬼門避けとして祀ったりしたと言われています。

京都御所であるが、京都御所の北東角には軒下に木彫りの猿が鎮座し、鬼門に対抗し(猿ヶ辻)といわれ、築地塀がその方位だけ凹んでいて、「猿ヶ辻」と称されてきた説があります。


まとめ

十二支というのは方角と同時に時間も関係していて方位と時間の中で、丑寅の方角が北東になる

十二支の方角であったり時間であったりするところの東北の丑寅の方角が鬼門である

東北から鬼すなわち邪気がやって来て邪悪な霊がやって来ると考えられている

平安時代には、京都から見て北東、東国、東北の蝦夷を成敗するために征夷大将軍が任命された


紹介欄

吉祥開運「干支」申H3 瑞春【鬼門よけのサル】浄化の水晶付き

天台密教の本―王城の鬼門を護る星神の秘儀・秘伝 (New sight mook―Books esoterica)

風水鬼門封じ札 丑寅・未申 鬼門・裏鬼門 方位除け セット 神社で祈願済みのお札/木札/方位除け

 

 

 

「死海文書」が告げる人類破滅の大預言

「死海文書」が告げる人類破滅の大預言

「死海文書」が告げる人類破滅の大預言

この記事の要約

「死海文書」が告げる人類破滅の大預言は死海写本と共に見つかった死海文書の聖書外典と言われる中に記されています。予言書には人類滅亡の予言が多くあります。しかしながら、未来にはいくつかの枝分かれがあり選びがあるので予定表通りにはいかないことがあります。


1. 死海

死海は塩分濃度が非常に高いのです。しょっぱいを通りこして苦い感じがします。イスラエルのツアーに行くと土曜日に重なりますね。土曜日は安息日なのでお店がほとんど閉まっています。その時に死海の辺り(ほとり)のホテルに缶詰にされるのです。死海の辺りにあるのでホテルから水着のまま出ればすぐ死海なのです。

死海は塩分濃度が半端でありません。浮きます。ただバランスが難しいですね。両手両足を上にあげます。両手両足万歳状態で寝て浮いていますが、風が吹くとどんどん沖合いに流されて行きます。

死海があるところは、生物のかけらもない荒涼としたところです。そこに洞窟がいくつかあります。洞窟の中から1947年にベドウィン族の少年が遊んでいる時、たまたま素焼きのツボを見つけました。中には巻物が入っていました。


2. 死海写本

これがなんと旧約聖書の写本だということがわかりました。写本の場合は旧約聖書の写しで、これだけでも凄く価値のあるものです。

現存する旧約聖書というのは紀元後なのです。となると「本当に紀元前に聖書はあったのか」と疑問が起こりますね。

旧約聖書の内容とは今伝わっている内容と同じなのだろうか。保証がなかったのです。死海文書は分析の結果、ほぼ紀元前2世紀から1世紀の時代の写本だということがわかりました。偽物ではなく本物でした。

今伝わっている旧約聖書が、見つかった紀元前2世紀のものと同じ内容で伝わっていることが確認できたのです。昔は手書きだったので、一部違っている点も見受けられていたようです。


3. 聖書外典

聖典とされる以外の外典、偽典とも言われるような文書も入っていました。エノク書というものも入っていたのです。

死海文書の凄いところは、ユダヤ教徒とキリスト教の間の年数にあります。旧約聖書の最後の文書の成立は、バビロン捕囚で捕囚から戻ってきた頃は紀元前4世紀頃です。それからキリスト教の成立の間に400年から500年あったのです。

その中間を埋めるのが死海文書なのです。特に重要なのは死海写本ではなく死海文書なのです。旧約聖書の写本ではない独自の文書があるのです。


4. エッセネ派

書いたのは、修行していた人々です。クムランというのは荒地ですから修道士みたいな生活をしていたのです。修行としてわざと荒れ野にいた人々でした。そうすると新約聖書の中で、荒れ野の中で修行していた有名な預言者がいました。それがバプテスマのヨハネです。イエス・キリストにバプテスマをしたヨハネは荒れ野で修行をしていたのです。

彼が所属していた宗派は、エッセネ派です。エッセネ派の人々は修行をする人たちで、死海文書を書いた人たちとはエッセネ派だろうと言われています。

つまりバプテスマのヨハネに連なる系統だろうと推測できます。当然ながらキリスト教の成立にも関わってきます。

重要なのは写本ではないエッセネ派の独自の文書の中に、色々な予言が入っていることです。週末予言が入っているのです。週末予言がありこの世の終わりには、光の子と闇の子の戦いがあるという内容が出て来ます。

この文書の描写がイエス・キリストそっくりなのです。イエス・キリストは義の教師のモデルです。それをモデルにしてイエス・キリストが現れたのではないかとも言われています。


5. 発見された年が大切1947

実はもっと大切なのは、発見された年なのです。1947年に11の洞窟から見つかりました。調べ尽くして、もうないとされていたのですが、12番目の洞窟が見つかったのです。そこで新たな死海文書が見つかりました。

1947年はロズウェル事件があった年です。死海文書とロズウェル事件の関係は、とても重要です。翌年1948年にはイスラエルが建国されています。旧約聖書の中にダニエル書があります。

ダニエルはバビロン捕囚で、捕囚された南朝ユダの預言者の一人でした。エルサレムは滅ぼされていましたが、ダニエルの予言の中にいずれ、遠い未来エルサレムが再建されるであろうと予言されていました。

2017年には、エルサレムが再建されて70周年でした。ところが、70年経つとエルサレムは滅んでしまうという予言です。イスラエルの建国が1948年、70年後というのは、建国を起点とすると2018年になります。死海写本が見つかった年を起点にすると2017年になります。


6. メシア

ユダヤ人は、予言に従わなかったので国が滅びたという痛い経験を持っています。いずれメシアが現れてイスラエル民族を救ってくれるという予言もあります。このメシアがイエス・キリストだというのが、キリスト教です。

本物のメシアはまだ来ていないという考えがユダヤ教です。ユダヤ教のメシアは王様の意味もあります。ダビデやソロモンのような王を待ち望んでいますが、イスラエルは共和制ですから王様がいません。

いずれ聖地エルサレムにまだ建築されていませんが、ソロモン第三神殿ができたらそこにメシアが君臨すると言われています。

死海文書で興味があるのは、メシアは2人いるということです。1人はアロンのメシア、1人はイスラエルのメシアです。アロンとはモーセのお兄さんです。1人はユダヤ教のレビで祭祀を司るメシアが現れるのです。

イスラエルとは、全イスラエルなのか、または北朝イスラエルなのかで変わって来ます。北朝イスラエルであれば、失われたイスラエルの十支族に当たります。とするとひょっとしたら、メシアの一人は日本人なのでしょうか。

祭祀を司るとは、今上天皇のことです。古代の天皇は自ら剣を持って戦っていました。帝と言われた背景には、十二支族のガド族という説もあります。途中から、武力を捨てて祈りに徹するようになったのは祭祀を司るレビ族に代わったからなのではないかとも言われています。


まとめ

特に重要なのは死海写本ではなく死海文書

死海文書を書いた人たちとはエッセネ派

70年経つとエルサレムは滅んでしまうという予言

メシアは2人いるということです。1人はアロンのメシア、1人はイスラエルのメシア


紹介欄

死海文書のすべて

トマスによる福音書 (講談社学術文庫)

エノクの鍵―宇宙の仕組みを解明し、本来の人間へと進化させるための光の書―

ワンピースは実在している

原典 ユダの福音書

新約聖書外典 (講談社文芸文庫)

 

平将門の北斗七星呪術結界は神社で呪術的封印

平将門の北斗七星呪術結界

平将門の北斗七星呪術結界

この記事の要約

平将門の北斗七星呪術結界は神社で呪術的封印をしているのです。封印と祀ることにより、守られるというご利益も得たのです。世界の歴史は宗教的、呪術的なものにより動いています。無宗教と言われる人も心の底では、目に見えない何かを信じているところがあります。


1. 平将門

将門公と言えばご存知の通り、藤原秀郷に打たれました。将門は関東を支配していましたが、もともとは皇室の血を引いていたのです。東国における新しい帝である新皇という言い方なのでした。要するにもう一人の天皇を名乗ったのです。そのことで朝廷と対立して、最終的には打たれてしまったのです。

将門公の首が京都で切られたのにその首が、関東にまで飛んで来たと言う伝説なのです。東京大手町のところには、将門の首塚があります。

首塚を動かそうとした官僚の人たちが次々に亡くなって行きました。今でも大手町界隈の人たちは、首塚にお尻を向けないで、机の配置は、と言うように細かいことで気を使っているようです。

将門公に関する史跡では、首塚だけではありません。首塚とは飛んで来た首が落ちたところです。その他には、将門公が身につけていた鎧を祀った鎧神社、鬼王神社、鬼王が将門公の幼名ではないかとも言われています。

筑土八幡神社(つくどはちまんじんじゃ)、祭神の神田明神、兜神社、鳥越神社、ほぼ大手町周辺と新宿周辺にあります。これを線で結ぶと、北斗七星の形になると言うのです。この研究は、作家の加門七海先生が大江戸魔法陣という本を何冊か出されて、追求して研究した有名なものなのです。


2. 不審死のエピソード

築土神社や神田神社同様に、古くから江戸の地における霊地として、尊崇と畏怖とが入り混じった崇敬を受け続けてきました。

この地に対して不敬な行為に及べば祟りがあるという伝承が出てきまし。そのことを最も象徴的に表すのが、関東大震災後の跡地に大蔵省の仮庁舎を建てようとした時、工事関係者や省職員、さらには時の大臣早速整爾の相次ぐ不審死が起こったことで将門の祟りが省内で噂されることになったのです。

省内の動揺を抑えるため仮庁舎を取り壊した事件や、第二次世界大戦後にGHQが周辺の区画整理にとって障害となるこの地を造成しようとした時、不審な事故が相次いだため計画を取り止めたという事件です。

首塚はバブル景気後も残ることとなり、今日まで、その人気のない様に反し、毎日、香華の絶えない程の崇敬ぶりを示しています。近隣の企業が参加した「史蹟将門塚保存会」が設立され、維持管理を行っています。


3. 将門の胴塚

夜空の北斗七星は、唯一動かない星があります。北斗七星に対する北極星の位置に胴塚があるのです。偶然の配置ではなく、明らかに意図的にデザインして配置されたのがわかります。胴塚は茨城県、坂東市にあります。

北斗七星は、戦国大名が鉄線にも書いていたりするものでした。柄杓の絵の部分に剣があります。戦さのシンボルだったのです。

仏像では毘沙門天が化身になります。北斗七星と北極星はワンセットで妙見信仰とも呼ばれたりします。妙見(ミョウケン)信仰とは、一般的には仏教でいう北辰妙見菩薩(ホクシンミョウケンボサツ)に対する信仰を言います。その原姿は、道教における星辰信仰、特に北極星・北斗七星に対する信仰でです。

北極星は動かないから全宇宙の中心であり、天の帝、天帝の星とも呼ばれています。青森県にある星の名前がつく大星神社から始めて残りの6つを結んでいくと北斗七星になる場所があります。

1大星神社(青森市)、2浪岡八幡宮(青森市)、3猿賀神社(平川市)、4熊野奥照社(弘前市)、5岩木山神社(弘前市)、6鹿島神社(西目屋村)、7乳井神社(弘前市)の七つの社を結ぶと、地図上に巨大な「北斗七星」が姿を現すという分けです。

東北の寺には、毘沙門天を祀っているところが多くあるのです。なぜかというと呪術的な封印なのです。当時は蝦夷に封印するために北斗七星の呪術的力を取り入れたのです。

将門公に関する神社が北斗七星にか関わっているのは、呪術的封印なのです。封印と祀ることにより、守られるというご利益も得たのです。帝都の守護は将門公なので、将門公には失礼があってはならないのです。


まとめ

将門公に関する神社が北斗七星にか関わっているのは、呪術的封印

封印と祀ることにより、守られるというご利益も得た


紹介欄

怨霊とは何か – 菅原道真・平将門・崇徳院 (中公新書)

平の将門 (吉川英治歴史時代文庫)

いいことだけを引き寄せる結界のはり方

ナチスの高官たちはオカルトティスト

ナチスの高官たちはオカルトティスト

ナチスの高官たちはオカルトティスト

この記事の要約

ナチスの高官たちはオカルトティストたちでした。ナチスの中枢は、女性霊媒師のコンタクトの相手であるエイリアンのご託宣によって動かされていたのです。エイリアンとは、アルデバラン星人です。地球の文明は、アルデバラン星の影響によって発祥したとも言われています。


 

1. ナチスはオカルティスト

ナチスドイツは密かに空飛ぶ円盤を製造していたという伝説があります。ナチス・ドイツは、高官と呼ばれたヒトラー、ヒムラーなど学者のカール・ハウスホッハーと言う方々は実はオカルトティストだったと言うのです。

ナチス自体が実は神秘ストなのです。オカルトの思想のもとに色々な戦略が計画されたのでした。

アメリカ軍、中国軍といった全ての世界の軍隊の服装のデザインは、もともとナチスだったのです。軍服のデザイン、紋章、階級、組織なども全てです。シンボルなどが凄い神秘主義のマークなのです。

軍服のマークは、ほとんどが星ですね。当時の西ドイツの紋章にもドクロやへびが使われていました。いかにもオカルト・シンボルと思いたくなるものばかりです。

ナチスの高官たちはそもそも、オカルトティストたちです。そのような戦略で第三帝国をつくろうとしたわけです。それをベースにヨーロッパをどんどん占領し、世界征服を狙っていたのです。

ノストラダムスの星占いなどをよく使っていました。その中でナチスが関わったとされる秘密結社がいくつかあって、有名なところでトゥーレ協会、とかブリル協会、特にこのブリル協会はヒムラーが深く関わっていたとも言われているところです。


2. アーリア人

トゥーレ協会とはもともと北欧の幻の神々の国、北欧のアトランティスと言われ方もする幻の国なのです。

アーリア人はアトランティス人の末裔であるという伝説もそこから生まれてきたのです。ブリル協会も元は同じなのです。アトランティスは今から12000年前に栄えていて、一夜にして大西洋のどこかに沈んだと言われている伝説の大陸です。

アトランティス人とは完全に滅亡したわけではなく、一部はヨーロッパに広まっていたという思想を持っていました。その本流はゲルマン人であるというのです。

アーリア人の中のアーリア人は、まさにナチス・ドイツの選民思想、優生学という非常に危険な思想なのです。


3. 地底世界

この思想に深く影響を与えた小説があります。イギリスのエドワードブルワー・リットンという小説家です。

リットンも実はフリーメイソンなのです。この人の著である「来るべき種族」のなかで、一人の主人公が地下にある文明国家を発見するのです。その地底王国の地底人の名前がヴリルヤというのです。

彼らは高エネルギー、テクノロジーを持っていました。この力をヴリルパワーというのです。反重力みたいなものとか、とてつもない兵器でヴリルパワーを開放すると一瞬にして一つの町が消滅するくらいの力があったというのです。

言ってみれば核兵器のようなものでした、空飛ぶ円盤も、地底世界にあったという設定です。

彼らはもともとアトランティス人で、アトランティスが滅亡した時に地底に逃れてきた人々なのです。

これがその小説の大まかな概要です。ところあがヒトラーはこれは小説ではないというのです。「小説の程をして書かれているが、これは事実である」と思っていました。


4. ナチス世界探査の目的

これに関わったナチス高官たちは、これは小説ではなく本物だと信じていました。ヒトラーもこれに完全にハマっていたのです。ナチスは、地球は本当に空洞であると信じて地底の探査を行いました。

ナチスは、南極へもチベットへも行っているのです。シャンバラ伝説のあるところへも赴きました。小説を信じて本気で探査を続けていました。近代史現代史では教えられていませんが、彼らは実際に行っていたのでした。アカデミズムな史観でナチスを捉えてしまうと見誤ってしまうのです。


5. 女霊媒師

ブリル協会の中にとんでもない霊能力者がいました。これがどうもナチス・ドイツの奥の院だったようです。凄い能力を持った女性、女霊媒師だったのでしょうか。

全部で5人いたのです。中でも二人、マリア・オルシックとシグルンという二人の女性は飛び抜けて霊能力が強かったのです。

ブリルではいつも儀式を行っていました。ヒムラーがつくっていた政党騎士団みたいなところにも霊媒師は呼ばれて、霊を読んだり霊と語ったりしていいたのです。

その相手というのはエイリアンだったのです。ナチスドイツの中枢は、エイリアンのご託宣によって動かされていました。


6. アルデバラン星人

そのエイリアンとは、アルデバラン星人です。星座でいうと、牡牛座の方角です。アルデバラン星の宇宙人とコンタクトしていました。地球の文明は、アルデバラン星の影響によって発祥したとも言われています。

アルデバラン星とただチャネリングしているだけではなく、実際にその星からUFOが来ていたのです。ナチス製UFOがよく語られますが実は、アルデバラン星から来たUFOが元になってつくられたものなのです。

マリア・オルシックはクロアチア出身の父とオーストリア出身の母を持ちます。ドイツ系ゲルマン人なのです。

アルデバラン星のチャネリングには、火星にも行ったという情報もあります。アルデバラン星系にスメランという星があります。スメランがシュメールの元になったとも言われています。そう言われてみると、日独伊三国同盟がそこでつながって来てしまうのです。

戦後、ドイツの有名な科学者たちは、アメリカに渡っています。彼らは、今のNASAの礎をつくったのです。そのような意味で、ナチス製UFOはアメリカに移植されているのです。

現代史では、ナチス・ドイツとアルデバラン星の項目が必要になるかもしれません。


まとめ

ナチス・ドイツは、高官と呼ばれたヒトラー、ヒムラーなどの方々は実はオカルトティストだった

アーリア人の中のアーリア人は、まさにナチス・ドイツの選民思想、優生学という非常に危険な思想

ナチスドイツの中枢は、エイリアンのご託宣によって動かされていた

エイリアンとは、アルデバラン星人で、星座でいうと、牡牛座の方角


紹介欄

アーリア人 (講談社選書メチエ)

ナチスがUFOを造っていた―ついに突き止めた超兵器の秘密 (On select)

黒魔術の帝国―第二次世界大戦はオカルト戦争だった

日本人の9割が知らない遺伝の真実 (SB新書)

 

 

諏訪大社の御柱際は古代ユダヤから伝わった

諏訪大社の御柱際は古代ユダヤから伝わった

諏訪大社の御柱際は古代ユダヤから伝わった

この記事の要約

諏訪大社の御柱際は古代ユダヤから伝わったものです。アブラハムの時代には、柱が一本建っていてそこが神の依代としての聖地でした。ソロモン神殿をつくるにあたりレバノンから杉を切ってエルサレムに運んきた方法が日本に伝わったということが考えられます。


諏訪大社の御柱際

御柱際は木の柱を引いてきて建てるという儀式を行っています。このような祭は世界中探しても見当たりません。一本の柱を広場に建てて神の依代(よりしろ)にして儀式を行うものは世界中にあります。一般的に、祭が終わると倒してしまいます。

御柱祭の場合は7年に一度行われます。これは数えなので実際には6年ごとに建替えるのです。その柱はどこにあるのでしょうか。

アブラハムの時代には、そこに柱が一本建っていました。この柱が聖地であり神の依代だったのです。

依代とは、神霊が寄りつくもの、神霊の憑依物のことです。 樹木、岩石、人形、人間などが依代として考えられています。 また、神体や神域のことを依代と言います。)

長野の諏訪地方にある諏訪大社です。諏訪大社は全部で4箇所あります。上社本宮と上社前宮、下社春宮、下社秋宮と4つの大きな社殿からなっています。

上社本宮  長野県諏訪市中洲宮山1、

上社前宮  長野県茅野市宮川2030、

下社春宮  長野県諏訪郡下諏訪町193 、

下社秋宮 長野県諏訪郡下諏訪町5828

上社に行きますと、拝殿があり本殿があります。上社の境内のほぼ四隅に4本建てるのです。これが6年間建っているのです。

この柱を6年に一度、新調します。その柱を山から切り出し、里まで引いてきて建てるのです。

途中で急勾配の坂を落としたり川を渡り、危険極まりないすごい移動になります。上社と下社ではルートが違います。上社のクライマックスでの蹴落としは、27度ぐらいの傾斜で30から40メートルぐらいの所から落としてくるのです。下社の傾斜は、さらに30度以上あるのです。

上社の方は神社の千木(ちぎ)みたいなツノに人が乗っています。結構高いところに人が乗ったまま落ちていくのですからとても危険です。回転しないように綱を引っ張り安定させてはいます。これは上社の方法です。

( 千木は古代、屋根を建造する際に木材2本を交叉させて結びつけ、先端を切り揃えずにそのままにした名残りと見られる)

下社にはツノがありません。その代わりまたがって落ちてくるのです。これはとても危ないです。命をかけての祭りです。ここで男気を見せるのです。6年に一度の祭りで、地元では大変盛り上がります。御柱に乗ったとなると大変名誉なことなのです。


4本の柱の大きさが違う

4本の柱は大きさが違います。本宮の柱に乗ったなら大変名誉なことになります。わざと大きさを変えているのです。これも御柱の謎の一つです。ただ単に結界であれば同じ高さにすればいいのですが、一の柱が一番高く、二、三、四と低くなっていきます。御柱には謎がたくさんあります。

それはユダヤに関係しているのです。諏訪大社は、上社と下社があります。歴史的には上社の方が古いのです。本宮、前宮とありますが、御神体の山があって、その山の名前をモリヤ山と言います。

エルサレムの聖地にドームが建っていますが、高くなっているところがモリヤの丘と言われています。そこには、かつてのユダヤの神殿があったのでした。今はもう破壊されてなくなっています。

その神殿を建てる時、基本的には石なのですが、周りを全て木で覆っていました。現在は、荒地の砂漠をイメージしますが、かつては緑豊かな大地だったのです。特に地中海に面するパレスチナ地方は、森林がたくさんありました。


御柱際の木はレバノン杉

イスラエルから北部に行くとレバノンという国があります。国旗を見るとシンボルが杉の木です。レバノン杉というのがかつて豊富にありました。

今はほとんど切られてしまい天然記念物のように扱われています。ソロモン神殿を作るにあたり、レバノンの杉を切ってエルサレムに運んできたのです。


アブラハム

神殿が建つ前のモリヤ山というのは聖地で、預言者アブラハムが住んでいました。アブラハムは、ユダヤ人とアラブ人の両方の祖先です。アブラハムは、神の象徴だったのです。

アブラハムが有名になった伝承は、息子のイサクとの関係でした。正妻であるサラの子供ができなくて、100歳近くになってから、ようやく子供が生まれました。

あるとき神様が、「お前の息子を捧げよ」と語りかけてきました。捧げよということは、生贄にしろということなのです。信仰を試されるわけです。信仰心が強かったアブラハムは、イサクを連れてモリヤ山に行きました。


イサクの生贄

屠った後には焼き尽くします。焼くための祭壇の準備もしなければなりません。「お父さん、生贄のヤギがいませんが」とイサクが尋ねました。「大丈夫そのうち神が用意してくれる。と回答しましたが、実は、イサクを燔祭として捧げなければならなかったのです。イサクもそのことを知っていて、素直に生贄になることに従いました。

イサクを縛り付け、アブラハムがイサクを殺そうとした瞬間、「待たれ、待たれよ」と天使が現れて、既(すんで:全くもう少しで。あやうく)のところで「あなたの信仰は確かなものであることがわかった。ここまででいい」と止めに入ったのです。


美紗口祭はイサク奉献の伝承

諏訪大社の上社の前宮のお祭りに美紗口祭があります。氏子の社家、神職に当たる方が代々決まっていて、お祭りが近くなると、社に籠って精進潔斎し、祭りが始まると、柱に縛り付けられてしまいます。

もう一人の神官が刃物を持って、いかにも屠るみたいに生贄として殺すようなポーズをするのです。刃物を振りかざした瞬間に、馬に乗った帝の使いが、「待たれ、待たれ、待たれよ」と止めに入るお祭りがかつてはあったのです。このはアブラハムがイサクを捧げた物語にあまりにも、似すぎています。

美紗口祭とは一体何なのでしょうか。美紗口とは、M・ISAKU・CHI(イサク)で、「イサク」のことに違いないと述べられています。
「ミサクチ」は、もとは ”ミ・イサク・チ” または ”御・イサク・チ” だったのでしょう。「ミサクチ神」とは ”イサク神” です。御頭祭は、イサクを記念した祭で、前宮のご神体はモリヤ山なのです。


まとめ

神殿を建てる時、基本的には石だが、周りを全て木で覆っていた。その木の切り出しと御柱祭に関係がある

諏訪大社の上社の前宮のお祭りに美紗口祭があるがこれはイサクを捧げる儀式と関連がある


紹介欄

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科学はこれを知らない 人類から終わりを消すハナシ 【地球蘇生力】は水素(−)と酸素(+)の超光回転(∞)が生み出す【ゼロ磁場】